「お守り」を信じると頑張れることがある?!
希望した通りの結果に結びつかないかも知れない!と思いながら頑張りを継続させるのは想像以上に辛い。
しかし、努力をしなければ確実に結果は出ないのです。
そんな頑張る自分を支える方法のひとつとして、眼で見る、存在を認識できる「お守り」を持つことの効果は大きい。
|「お守り」を持つことを提案するのは?
ジジィ化への抵抗に限らず、努力や頑張ることが苦手や嫌いな人間が、思った通りの成果や結果が出ないかも知れない努力を続けるのは、かなり苦しい!
運よく?知人に、不思議な力があるのか?勘が鋭い?不気味な人というのか?・・仲間内でのあだ名は「魔女」と呼ばれる女性がいます!
その「魔女」からもらった「お守り」で、家族の生命を救えた!そして自分も頑張りを続けることが出来た!というエピソードもあって、「魔除け」や「お守り」を非科学的な迷信!と一概にいえないものを感じているのです。
昔から、そして今もですが目に見えない、科学で証明できないことは信じていないのですが、これだけは別です!
「お守り」に興味を持って調べてみる、或いは学ぶことのきっかけになりました。
継続が必要なことや頑張ることに対しての励み、気持ちの支えとしての「お守り」が持っている効果は否定できない!
多くの方々が宗教的な意味合いではなくても、お参りするや神頼みをする、そして「お守り」を持つ!などは日常生活の一部として受け入れられているのが現実です。
「お守り」や「魔除け」を持つことで気持ちの安定が図れる、毎日の生活に少しでも安心感を得られるなら、一歩踏み込んでマイナスと思わなければ「お守り」や「魔除け」の類は持つべきと思うのです。
|「お守り」は必要か?それともただの迷信?!
人が日常の生活を営む過程で、心配や不安になる材料は常に身近なところにあって、少しのきっかけで気持ちに大きくのしかかることもあります。
人が生活を営む限り、商売や仕事、人間関係、受験や勉強、健康や病気等々・・心配や不安の種は例をあげたら際限がない位あるものです・・。
時には希望が叶って喜んだり、心配が消えて安堵したり、逆に絶望感を味わったり・・など、揺れ動く心の状態を経験しないで大人になった人はいないでしょう!
心配や不安が大きくなると、眠られなくなったり食欲がなくなったり、日々の生活や健康に影響が出てしまうこともあります。
心の状態が、健康に影響することを現代人の病理として認識され、全人的ケアを目的にした「心療内科」が初めて九州大学に創設されました。
創設されてから、まだ約50年位なので歴史の浅い診療科になるのでしょう。
ギリシャの哲学者プラトンが2400年程前「心の面を忘れて身体の病を治せるものではなく、医者たちが人の全体を無視しているために、治す術を知らない病気が多い」と述べています。
心の状態が健康に与える影響を表した初めての言葉かもしれません。
心が健康に影響する可能性があることは、学問として習わなくても経験したり無意識として多くの人は知っています。
人は心のより所を求め、健康を守るため、明日へ希望を繋ぐために、宗教にすがり神に救いを求めて来ました。
人の歴史を振り返ると、必要であることが物事を生み出すための原動力になって、それが引き継がれて存在しているのは、効果や価値が認められているからと考えるのが妥当と思うのです。
その意味で、「お守り」は歴史的にも卑弥呼の時代には、既にその存在は認められており、そして今日まで受け継がれて来ていることになります。
|迷信であっても「お守り」を持つ価値はある?!
人は霊魂だったり、運気等の目に見えない神秘的なものの存在を認めて来ました。
その代表的なのが「神」なのかも知れませんし、「お守り」の歴史を紐解いていくと「神」という概念が生まれたことに驚いてしまいます。
古より神が形のある物に姿を変えたり降臨することを人は延々と信じて来ました。
太陽や山、大きな石や木々、神々しいと感じられるスポット・・人によっては拾った金属片や小石等・・何に神が宿るのを感じるのかは自由ですから。
昔の故事で「鰯の頭も信心から」という言葉があります。
意味としては、‟鰯の頭のようなつまらない物であっても、神棚に祭って信心すれば、有り難いと思う様になることから、第三者の目からはつまらないものでも信心する人にとっては尊く有り難い存在になる″ ということです。
鰯の頭ではありませんが、人はそれぞれに縁起や験を担いだり、人生の中で「ここは頑張りところ」と感じた時などに、頑張る自分を支えられる拠り所が欲しいと思うことは、極めて自然な感覚なのです。
人は、心の強さも、それ以上に弱さも知っています。
その弱さを支えて頑張れるのは、神社や寺社などを含む宗教が持つ役割のひとつかも知れません。
でも、ほとんどの人は、もっと気軽に「お守り」や日常を無事に過ごせる様にと「魔除け」を身近に置いて、縁起や験を担ぎながら平穏な生活を送れるなら十分と思っているのではないでしょうか?!
教義や難しい祝詞(のりと)ではなく、「ポケットに入る」「首から下げられる」「目に付くところに置いておける」身近で、ある意味気軽に目に見える物を望んでいると思うのです。
そこに「お守り」や「魔除け」などがもっている効果があるのだと思います。
|気持ちの拠りどころとしての「お守り」!
頑張るとある程度の結果は出せる!とか、受験の様に1年位の短いスパンでの頑張り!等は、気が付いたら何とか走り抜けられていることもあるでしょう。
しかし、ゴールが見えない!どの位の期間を頑張らなければならないのか?や、頑張ったらそれなりに結果がついてくる!という確信や保証も無く、例え軽度であっても努力を無期限で継続させる場合など、モチベーションを維持させるのは相当きつい!
これは経験しなければ分からないと思います。
そこに、自分が信じた「お守り」やアイテムを持つことで頑張れるかも知れないと思えるとしたら、「お守り」効果は大きい!ということになります。
「お守り」は間違いなく非科学的で、効果については何の根拠もなく、迷信以外の何ものでもないと言われれば、その通りです。
しかし、人の心は特に辛さや悲しさ苦しさなどに弱い!これも確かです。
そんな弱いかも知れない「心」を支える術は、人によって様々です。
何も「お守り」に限ったことではなく、家族や友人など自分の気持ちや頑張りを支えてくれる物があるなら、「お守り」でなくてもいいのでしょう。
信じられる、気持ちを支えられる方法を見つける事が重要ですから!・・しかし、人智を超えた超常的なイメージがある「お守り」などはやはり別格と思うのです。
そのために、見つけた方法や「お守り」に対して少しでも疑念があれば、気持ちは支えられません。
例えば「お守り」に関して、こんな受け取り方でいいのか?きちんと儀礼や手順に沿ってないとダメ?とか、旅先の土産物売り場で売っていたものだから、インスピレーションで拾った石だから等・・効果はないかも・・!の疑念は、頑張ろうとする気持ちが揺らぎます。
自分にとって信じられる「お守り」を見つけて、目標に向かう気持ちを頑張る心を支えて欲しいと思うのです。